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世界経済のグローバル化によって、多くの人々が働く場を求めて国境を越えていくようになった。しかし、移住先で医療や福祉の支援を受けることができなければ、いざ健康を害したときの問題は深刻になりがちである。1990年ごろより急速に社会問題となった外国人医療の問題について、今回は日本での背景について解説する。
2007年5月法務省入管局の発表によれば、日本に滞在し外国人登録をしている人の数は208万人であり、人口の1.6%を越えている。一方、在留資格がなく滞在している超過滞在者の人数は、最盛期約30万人であったが、現在15万人を切り半減している。
国籍別では、韓国(1位)、中国(2位)、フィリピン(4位)といった極東・太平洋地域の出身者が3分の2を占める。また、ブラジル(3位)、ペルー(5位)など南米出身の日系人も2割程度を占めている。韓国・朝鮮・中国出身で1950年以前より滞在する特別永住者とその子孫の占める割合は大きく減少し、1990年以降に来日したいわゆるニューカマー外国人の割合が多い。
1990年前後、日本がバブル経済ににぎわっていた頃、多くのアジアの国ではちょうど外国企業の進出で農村と都市の格差が大きくなってきた時期であった。こうした中で人手不足の深刻な日本に多くの外国人労働者が訪れ多くの中小企業が雇用するようになった。しかし、単純労働に従事する労働者の受け入れを認めない入国管理政策の下では法律に違反した雇用となり、社会保障の外に置かれ強制退去を恐れて就労することとなった。こうした労働者の中には違法な就労であることを納得づくで来日した人々もいれば、雇用契約ができれば就労資格が得られると思ってきたもの、留学で来て資格が切れたものなど多様であった。
在留資格をなくして働く外国人労働者が多数いるという実態と、単純労働を受け入れないという行政上の方針との乖離が進み、政府は労働力不足を超過滞在外国人に頼らずに補う方法を模索するようになった。こうして1990年に日系人であれば自由に就労ができるよう入管法が改定された。こののちブラジル、ペルーなどからの日系人労働者が急増することとなった。
しかし、その後の景気の減速とあいまって1992年をピークに超過滞在外国人の数は減少を始める。超過滞在外国人の多くが個人で工場や建設現場などに雇用されていたのに対して、日系人の多くは人材派遣会社を通じて集団で企業に派遣され就労する場合が多い。このため在留資格はあっても言葉が不自由な人々が少なくない。
その後、農業・漁業・家内工業などの業界団体が組合を作って研修生を受け入れることが許可され、2000年ごろからは研修生という形で実質的な就労する人の数が急増している。研修生は医療保険が提供されているが、労働者として認められず8万円にも満たない低賃金で実質的な労働を担わされていることに対する問題が指摘されている。
実は、1990年までは、在留資格のない外国人であっても重篤な病気で緊急医療を要した場合に行政が生活保護法を援用して医療費を捻出することが可能であった。しかし、1990年10月に当時の厚生省が口頭の通達で在留資格のない外国人を生活保護の対象から除外するよう指導を行った。これによって在留資格のない外国人の場合、緊急医療が必要でも医療費が医療機関に払われないという事態が起こるようになった。国民皆保険が整って以来、全ての人に等しく治療を提供していた日本の医療に、この時大きなほころびが生まれたのである。
文責:シェア副代表理事 沢田貴志
機関誌「Bon Partage」No.140(2008年7月)掲載
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