HOME > 基礎知識 > エイズ > あるHIV陽性者の手記
次第に、村人達は夫がエイズであることを疑い始めた。そして、私へも「あんたもエイズじゃないのか?」と聞いてくるようになったので、私は正直に「そうだよ。」と答えたのだった。その後、村人の中で私を受け入れたくない人がでてきた。みんなで集まって、一緒にご飯を食べるところに私をいれたがらない人や、買い物に行っても私に物を売るのを拒む店員もいた。私を仲間に入れたがらない人がいた時には、私は「そんなことをしても、私は気にしないわ。でも、もう帰るわ。」と、その場を去るしかなかった。こうした村の状況で収入を得ることは大変難しく、私は夫を 看病しながら一人で、農作業をする厳しい生活が続いたのだった。
その2年後、夫は死んだ。差別を受けている状況の中でも、私の家族や親戚だけは私を気にしてくれ、いろいろと助けてくれた。そんな中、サダオワーングルー プ(シェアの活動地のHIV陽性者グループ)を紹介してくれたのは、母親だった。この自助グループ活動で得た知識を活かし、私はエイズの感染経路は限られていることなどの正しい知識を、村人達に説明するようになったので、差別も次第になくなっていった。
そして、私は再婚もした。当初、3人の男性が私に求婚してきたが、HIVに感染していることを伝えると、そのうちの2人が怯えて去っていった。1人だけ 怯えず、気にしなかった男性が、現在の夫だ。今では、親戚や他の村人の面倒をみながら、村人達と普通に、そして幸せに生活することができるようになっている。
COPYRIGHT © SHARE ALL RIGHTS RESERVED.