PTSD
PTSD(Post-traumatic Stress Disorder)とは、日常のレベルをはるかに超えた事故、自然災害、暴力、あるいは戦争などに起因した過剰なストレスに対する精神的・身体的反応の諸症状を指す疾病の名称です。この病気は、米国精神科学会発行の"DSM IV:Diagnostic & Statistical Manual of Mental Disorders(精神科疾患診断基準ガイド 第4版(2000年)"に分類されている鬱(うつ)症状、悪夢、不眠、無感覚、感情的高揚、フラッシュバックなどの症状の数とその持続期間によって診断されます。PTSDの概念は、1970年代、ベトナム帰還兵に見られた精神的・身体的症状から形成され、1980年代半ば「DSM III」から疾病として分類されるようになりました(*1)。このような背景で定義づけられたPTSDという概念が、文化や環境を超えて米国以外の様々な地域で適用できるものなのかという議論はまだ続いているところです。
(*1)Bisson, J. (2007). "Post-traumatic stress disorder." BMJ 334: 789-793.
米国でのPTSDに関する文献では、緊急事態の数ヶ月から数年後におけるPTSDの有病率(prevalence)調査が盛んです。しかしながら、まず第一にそうした調査が、その結果の受益者であるべき調査対象となった災害等の犠牲者たちに、多くの場合何の恩恵も与えないことを心せねばなりません。さらに、PTSDを果たして「病気」として定義し、それを他の疾患と同じように投薬によって治療するべきなのか、あるいはPTSDを取り巻く背景にある、個人と社会全体からなる苦悩、苦痛(human suffering)を介入(intervention)の対象にするべきなのか、という議論もあります。前者の立場、つまり個人の病気として対応しようとするのが米国流ならば、後者の人類の苦悩の緩和(alleviation)という視点が趨勢なのは英国流と言えるかも知れません。その英国流派の代表的なひとりDerek Summerfield (精神科医)の論点は、北アイルランドの何十年にも及ぶ紛争を通して、精神疾患が他の英国の地域に比べ多かったという事実がないことをあげ、紛争そのものが量的に心的外傷とは相関しているのではないことを指摘しています(*2)。
確かに、PTSDは紛争や戦争のたびに、特に国際保健の分野で活発に議論され、欧米の医学雑誌、例えばJAMA(アメリカ医師会雑誌)やLANCET誌にもよく取り上げられ話題になります(*3)。しかし、よく内容を見ると、それらはPTSDの発生率(incidence)と有病率(prevalence)の調査が主で、その数の多さが話題にはなりますが、実際の介入の成功例は未だに見当たりません。言うなれば、診断はするものの治療には至っておらず、そういう現状では、果たしてPTSDという診断をつける価値があるのかという疑問にもなります。
(*2)Summerfield, D. (1996). "The psychological legacy of war and atrocity: The question of long-term and transgenerational effects and the need for a broad view." J Nerv Ment Dis 184: 375-377.
(*3)Scholte, W., M. Olff, et al. (2004). "Mental health symptoms following war and repression in Eastern Afghanistan." JAMA 292: 585-593.
紛争や災害により難民、国内避難民が発生するような複合人道的危機(CHEs:Complex Humanitarian Emergencies)、あるいは政府が国民に対する役割を果たせない、あるいは果たす意思がない脆弱国家(*4)(fragile states)に対する緊急医療救援及び緊急期以後の救援における課題のひとつは、長期的な心理的影響への対応でしょう。「長期化する緊急事態」が増え続ける現在、残酷な戦争下で長期に生存するという人類史上前代未聞の状況が起こり、そうした現実は、ある老人の言葉に集約されています。"We are not crazy, war was crazy(*5)(我々が気狂いなんじゃない。戦争が気狂いざたなんだ)"。しかしながら、複合人道的危機が人間の精神に及ぼす影響とその対応については、まだまだその端緒に辿りついたばかりというのが現状です。過去15年近くの紛争地では、個々の患者を治療するだけでなく、平和構築プログラムなど苦悩するコミュニティへの介入、さらには加害者が公正に裁かれるための活動が、患者の回復プロセスに大きく貢献することが明らかになってきています(*6)。
(*4)DFID (2005). Why we need to work more effectively in fragile states. London, DFID: 1-28.
(*5)Kos, A. M. and S. Derviskadic-Jovanovic (1998). "What can we do to support children who have been through war?" Forced Migration Review 3: 4-7.
(*6)Summerfield, D. (2002). "Effects of war: moral knowledge, revenge, reconciliation, and medicalized concept of "recovery"." BMJ 325: 1105-1107.
文責:ケースウエスタンリザーブ大学医学部総合診療科 国際保健/疾病科、疫学/統計科兼任准教授 森川雅浩 機関誌「Bon Partage」No.139(2008年4月)掲載
シェアは、いのちを守る人を育てる活動として、保健医療支援活動を現在
東ティモール・カンボジア・日本の3カ国で展開しています。
寄付で応援する
マンスリーサポーター、
一回のみの寄付、
遺贈による寄付などが可能です。
物の寄付で応援する
書き損じハガキ、未使用の
はがきや切手、商品券、使用済みの
切手による寄付が可能です。
参加して応援する
スタッフ、ボランティア・
インターンとしてシェアに
参加することが可能です。