<1>はじめに
2016年4月14・16日と 熊本の地を2度にわたって震度7の激震が襲ってから2か月近い時が過ぎました。60人余の方々の命を奪い、13万戸以上の家屋が大きな損壊を受けるなど多大なるダメージを人々に与えた震災でした。現在も6000人余りの方々が自宅で暮らすことができず、体育館など避難所で不便でストレスの多い生活を強いられています。
阪神・中越・東日本の各震災で支援活動を行ってきたシェアは、今回の震災においても辛い思いの中過ごしている被災地の方々のために、何らかの形でお役に立てないものかと考えました。
<2>経過とともに推移するニーズ
シェアはこれまでの3つの震災支援の経験の中で、時間経過に伴って被災地の保健医療ニーズが変遷してゆくことを学んできました。
「被災地支援にPHCの視点を」http://share.or.jp/opinion_advocacy/insistence/004.html
表1 被災地における保健医療ニーズの変遷
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時間
| 場所 |
主要な問題点 |
重要度の高い活動 |
超急性期 |
~3日間 |
自宅、避難所 |
外傷、急性疾患 |
救急医療 |
急性期 |
~2週間程度 |
避難所など |
急性感染症 PTSD、ストレス性疾患 慢性疾患の悪化 |
医療 看護 心のケア |
亜急性期(移行期) |
~2カ月程度 |
避難所、仮設住宅 自宅 |
PTSD、ストレス性疾患 感染症、慢性疾患 |
保健、看護 心のケア |
慢性期
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~数年など
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仮設住宅 復興住宅、自宅
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PTSD、ストレス性疾患 孤独死、慢性疾患
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保健、介護、訪問 心のケア
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阪神・淡路大震災の折は、政府は大規模災害に対する備えをほとんどしておらず、災害直後・超急性期の救急処置のほとんどは、地元医療機関や全国から駆け付けたボランティアにゆだねられました。そのために地域によりそのケアの質と量に大きな格差が生じ、重大な初期医療体制の遅れがみられる所もありました。もし平時レベルの救急医療が提供されていれば、救命できたと考えられる「避けられた災害死」が阪神全体で500名存在した可能性が後に報告され、厚労省により災害医療派遣チーム・日本DMAT(Disaster Medical Assistance Team)が平成17年4月に発足しました。
DMATは「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」と定義されており、医師・看護師・業務調整員(医師・看護師以外の医療職及び事務職員)で構成され、大規模災害や多傷病者が発生した事故などの現場に、超急性期(おおむね48時間以内)に活動できる、機動性を持った専門的訓練を受けた医療チームです。東日本大震災そして今回の熊本震災では、発災直後より全国から多数のDMATチームが被災地全体に網羅的に配属され、阪神の時のように市民・ボランティアが大規模に救命救急処置を施す必要はほぼ見られませんでした。予想通り、シェアは発災後ただちに駆けつける必要はありませんでした。
DMATが撤退してゆく亜急性期以降も、行政は全国から保健師派遣システムや日本医師会災害医療チームJMAT(Japan Medical Association Team)などを被災地に配備し、腰の据わった保健医療の取り組みを始めています。しかし、それでも急性期のDMATほどの質量ともに充実したケアとはいえないようです。その理由は亜急性期以降の被災地での保健医療ニーズは生活と密着した細やかで繊細なものとなっているためとも考えられます。
こういったニーズにきめ細やかに対応できるのは、やはり地域に根を下ろした地域在住の保健医療者だけと言って良いかもしれません。
シェアはこれまでの被災地支援の経験から、現地に根を下ろした医療者・地域行政の方々の意見に沿って活動を展開する姿勢を大切にしてきました。東北においては、仙台で奮闘する診療所の支援を行い、気仙沼市役所保健福祉部の地域への細やかな働きを支えました。さらに地域NPOと協働で生活支援に取り組みました。
<3>熊本震災に対するシェアのスタンス
今回の熊本震災の直後から、シェアは亜急性期以降の地域のニーズに応える働きを検討してゆきました。シェアの本田代表理事の旧友である入佐さん(熊本菊池市・菊池養生園園長・医師)から支援要請の連絡が入ったのはそんな時期でした。
それまでのシェア内部の話し合いにおいて、シェアは熊本市内で被災された在日外国人へのきめ細やかな支援を展開しているNPOコムスタカを経済的に応援する方針を決めていました。そのうえに、入佐さんの要請に応える働きが可能かどうか悩むこととなりました。それは、シェアがちょうど事務局スタッフの多くが入れ替わった直後であり、また財政的にも厳しい局面の時期だったことが影響しています。とても阪神や東北のように現地にプログラムを構築し、事務局スタッフや理事が長期継続的に派遣され活動を作ってゆく力はない時期にありました。
それでも、現地の声・入佐さんの要請には何とか応えてゆきたい。シェアはそう考えました。
本田代表を中心に理事会ベースで話し合いを進め、まず仁科を熊本に先遣隊として短期派遣し、現地のニーズを伺って来る方針となりました。
そこで私は考えました。「自分たちはこれが出来そうだから、これをさせてください」とは言うまい。まず現場が困っていることは何かお聞きし、そのことに本当に役立つことをもしもシェアができそうならば、その部分にこそ力を注がせてもらおう。
<4>熊本視察
4/29~31の3日間、熊本を訪問しました。震災から2週間が過ぎ熊本市内はライフラインもほぼ回復している状態でした。ただちに養生園に向かい入佐さんの熱い歓迎を受けました。そして3日もの間、入佐さん自身の運転で被災地各所を案内していただきました。その中でも、入佐さんが役員をしている熊本YMCA/ワイズメンズクラブが指定管理者であり 運営のすべてを任されている益城総合運動公園には厳しい現実がありました。すでに2000人近い方が避難生活を送っており、付属施設の廊下にまで寝起きする被災者があふれかえり、まだ混乱状態といってよい様子でした。近隣には全半壊して姿をとどめていない住宅も多く、容易にみなさんの避難生活が終息するとは思えませんでした。
保健医療に関しては、運動公園の中庭に日本赤十字社の大きな診療テントが立ち、DMATスタッフがフロアを回って歩行が不自由な方を往診している様子がうかがえました。車でしばらく走った近隣の医療機関はすでに診療を再開し、「医療」については充分すぎるほどのケアが届いていると感じました。
入佐さんとともに、熊本YMCAのスタッフに尋ねました。「保健医療のことで困っていることはありますか?」すると、体育館駐在スタッフも熊本YMCA事務局長も、時を変えてまったく同じことを口にしました。「4/26から日赤の診療テントが夜間閉まるようになった。夜間が心配だ。」
私たちは考えました。
上記したように、車を走らせれば夜間でも30分程度で救急病院へ行ける。通常の医療は受けられる。それでも現場をよく知っている2人が心配だとおっしゃる。だとするならば、これから求められることは「避難している方々の夜間の心配を少しでも減らせる取り組み」なのだろう。だとしたら、聴診器を持って待ち受ける医師が当直するよりも、そこで暮らす方々の不安感や心配に細やかに寄り添える看護職がいてくれることが望ましいだろう。
その後私は入佐さんと相談して、「益城町総合体育館夜間健康相談室」を設立するプランを作り、熊本YMCAや熊本ワイズメンズクラブの主要な方々に相談にゆきました。皆様その趣旨に賛成してくれました。
<5>夜間健康相談室
その後準備期間を経たのち、東北震災で支援経験のある東京の2か所の訪問看護ステーション(コスモス・台東区、みけ・墨田区)の最大級の協力を得て、5/18より夜間健康相談室は活動を開始しています。今も2000人近い避難生活を送る方々が運動公園で暮らしています。避難生活が長くなり、疲れなどにより食欲低下・体力低下を招き体調を崩す人が出てきているようです。看護師による細やかな対応が行われています。
日報から印象的な記録を報告します。
「今回の活動のなかで助けられたのが、地元のことを良く知るMSW(医療相談員)の存在であった。訪問の際同行していただいたが、ここのクリニックは設備がないからこっちの診療所のほうが良いなどの的確なアドバイスによりその後の方向性を示すことができた。」
「避難所生活のつらさ、先のみえない希望のない生活のつらさを訴える方がでてきた。このような方は長期化する避難所生活のなかで今後更に増えていくだろう。話だけでも聞いて貰いたい、それだけでスッキリするからという方がいらしたが、そのように気持ちを表出できない方ももちろんいらっしゃる。そのような方へのかかわりをどのように行っていくのかが今後の課題になるのか。」
このような、まさに被災された方の深い辛さ・悲しみに寄り添えるケアが行われている熊本YMCAの働きを、シェアは応援したいと心から思います。なお、当面7月末までこの夜間健康相談活動は継続される予定です
皆様のご支援も賜れますと幸いです。経済的な支援窓口を以下に添付させていただきます。
シェア=国際保健協力市民の会 理事 仁科晴弘
熊本YMCA支援のための募金を受け付けております。
肥後銀行 新町支店 普通 1490980
熊本地震ワイズ益城町総合体育館運営支援プロジェクト
担当 大塚永幸