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座談会 被災地から学ぶ コミュニティのあり方 ―平時から考えたいこと―

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東日本大震災の被災地で、シェアは地域に根ざした保健医療支援を行ってきました。その中で見えてきた課題が「コミュニティのあり方」です。平時には、自分が属しているコミュニティのことはあまり意識しませんが、災害発生時の暮らしは、コミュニティの力に左右されます。
座談会では、東日本大震災緊急支援・復興支援にかかわった方々に、活動から見えてきたコミュニティのあり方、普段からどんなふうにコミュニティとかかわりを持つべきかについて、お話し合いいただきました。

復興支援事業で感じた「コミュニティの力」
ー被災地で「コミュニティの力」を感じたのはどのようなときでしたか。

西山:2011年4月、初めて気仙沼に入って驚いたのは、自治会の会長、民生委員、健康推進員などを務める方々が、その地域をよくご存じなことでした。市の職員の依頼で、健康推進員に安否確認の電話をしたとき、ご自分のことよりも周りの方のことをとても気にされていました。タイのヘルスボランティアにすごく似ていると思いましたね。

本田:阪神・淡路大震災(1995年)の支援活動に入ったとき、地縁が壊されて避難所にバラバラの状態で集まった方々が、もう一度そこでコミュニティをつくってゆかざるを得ない状況を目の当たりにしました。自然にリーダーシップをとる人が生まれ、支え合って頑張る姿にコミュニティの復元力を感じました。コミュニティが再生していく時期に居合わせてお手伝いをさせていただいた記憶があります。

大木:阪神・淡路大震災の被災地でも、東日本大震災の被災地でも、コミュニティの力がある一方で、「コミュニティからこぼれていく人たちがいる」前提を持って行動しなければならないことを感じました。気仙沼でも、市街地では近所付き合いが希薄なところもありますし、古くからの地域に最近移り住んだ人もいて、必ずしもみんながつながっているわけではありません。コミュニティの力は強いものの、うまくつながれない人は必ずいらっしゃいます。
地域にある1つのコミュニティに全員が入らなければならないのは、とても窮屈ですよね。こぼれる自由、つながらない自由もあることを理解した上で支援をしていく。こぼれていく人たちとどう出会うかを地域の方々と一緒に考えることが必要だと思います。

ー医療の面でこぼれていく方はいらっしゃいましたか?

大木:障害を持つ方々の中には、避難所から出て行く方もいました。しかし、避難所拠点でしか、物資や情報は届きません。そういう意味で、保健医療ボランティアが出向く「気仙沼巡回療養支援隊1」の活動は重要だったと思います。

本田:支援に入った最初の数日間に、往診に行かせてもらいました。要介護4〜52の高齢者が、訪問看護・訪問介護・訪問入浴のサービスを受けられずに、褥瘡(床ずれ)や栄養状態が悪化していました。家族が頑張って支えてはいるけれど、介護サービスがなくなることによって、容態が悪くなることもあります。
避難所にいた要介護者には、それとは別のつらさがあったと思います。避難所にいた方も在宅にいた方も、本人や家族には、それぞれのつらさがあったことが想像されますね。

20141219_1.png大木:阪神・淡路大震災のときは、介護保険3がスタートしていませんでしたから、避難所に要介護者が来るという想定がありませんでした。ところが、東日本大震災では避難所に看護職が張り付いて、トイレ等の介助をしなければ間に合いませんでした。

本田:阪神・淡路大震災から16年たって、日本の社会が老い、デモグラフィー(人口統計)が変わってしまったのですね。介護保険が社会に浸透して、ケアを受ける場所も変わりました。病院から在宅へという流れができたんでしょうね。

 大木:気仙沼は防災計画に福祉避難所4を想定しておらず、場所も指定されていませんでした。そのため、候補場所が二転三転し最終的に休止中の保育所に介護用のベッドを置いてもらい、緊急に手作りで福祉避難所が開設されました。
防災計画で福祉避難所として数カ所の施設を指定しておくことが必要だと思います。気仙沼では、施設指定がなかったために、介護老人保健施設に介助が必要でない高齢者も避難し、普通の避難所になっていました。施設指定をしておけば、早い段階で「福祉避難所」に切り替えて集約することが可能です。指定した施設が被災すると機能できなくなりますから、複数指定しておくことが必要ですね。

プロジェクトKが担うコミュニティの再生
ー気仙沼では、2011年にNPO法人「生活支援プロジェクトK5」(以下:プロジェクトK)が設立され、シェアと共同事業を行ってきました。プロジェクトKの活動は、現在、地域の方にどのように受け止められているのでしょうか。

西山:体操の前に血圧測定など健康チェックを利用した方から、「気にしてくれる人がいることがうれしい」という声を聞きます。健康チェックの際にする世間話の中に、その人の抱えている問題の本質に迫る話題が出てきたりもしますね。「相談支援」「精神的なサポート」と看板をあげているところは敬遠してしまうものの、健康チェックなら気軽に行ける。プロジェクトKの活動は、気仙沼の方々のニーズをうまくつかめていると思います。

大木:プロジェクトKのように、地域の方々が1日に何回も気軽に来られる場所があるのは、重要なことだと思います。そういったスタッフのいる拠点という場を介して、その人自身が抱える大変さが少しずつ整っていき、あまり来なくても大丈夫になったり、次の活動につながったりすることもあるでしょう。

20141219_2.png中川:個人としての自発性の回復が今の東北において1つのテーマになっていると思います。気兼ねなく繰り返し訪ねられる場所で、スタッフなどとの会話を通して、今後の仕事や生き方について、確かめているのだと思います。
プロジェクトKの活動で大切だと思うのは、住民自身がスタッフと話をしたり活動に参加したりすることを、自分にとってよいことであると感じていることです。災害復興住宅に移っても、プロジェクトKの活動に参加していれば、孤立化を防ぐ可能性が高くなる。これまで築いてきた信頼感で、回復してきたコミュニティの力を保つことが求められていると感じます。

大木:今回の震災では、気の合う隣近所の方、公民館のサークル仲間とのつながり、若い世代のグループ、町会でのつながりなど、地域のあらゆるレベルのコミュニティがすべてなくなりました。プロジェクトKは、これらをすべてつくる役割を担っているのだと思います。仮設住宅での野菜づくりで、ご近所さんとの交流を促したり、編み物講座で緩やかなつながりをつくり、自治会をサポートしてイベントを一緒に行ったり......。今後は、自治会同士のネットワークもつくれたらよいですよね。プロジェクトKのコミュニティ支援は、このような多層的なコミュニティのすべてにかかわっていくことが求められているのではないでしょうか。

人々をつなぐ地縁・知縁によるコミュニティ
本田:東日本大震災が起こる前に、大きな市町村合併がありましたよね。この震災では、合併をして大きな市に編入された地域が孤立したり、合併をしなかった自治体のほうに援助が早く入ったりし、その光と陰の部分を感じました。
合併して自治体が大きくなればなるほど、避難所で住民がごちゃまぜにされ、仮設住宅もご近所の方と一緒のところに入居ができず、さらに災害公営住宅でもバラバラになってしまう可能性がある。そういった状況で、人と人がつながって同じコミュニティに属している仲間意識をいかに持ち続けていけるかが問われています。
地縁でないものを新しいコミュニティの中にどう持ち越して行くのかが課題としてよく見えていないのですけれども、市町村合併がもたらした影の部分が、この災害で大きなチャレンジになってしまったことを考えておかないと難しいのではないかと思いました。

中川:今回の震災では、地域の運営を担っていたシステムが壊れて機能しなくなりました。結果システムではないものの必要性が高まったと感じています。
今、被災地で難しくなっているのは災害公営住宅に移ったり、自宅を再建したり、仮設住宅の次の住まいの形がでてきている中で、「自分はどちらに進もうか」と、住民の足場がぐらついていることです。仮設住宅の次の段階も見据え、コミュニティやネットワークをつくっていかなければならないと考えてるNPOが多くなっていると感じます。
自分もそうですけれど、災害が起こるまで、コミュニティの存在はあまり意識されないと思います。でも、災害が起きると、もともとそこにあったルール・関係性・構造がなくなってしまい、一からつくっていかざるを得ないため、初めて意識されるのではないでしょうか。

西山:気仙沼では、震災後も自治会の枠組みが生きています。しかし、ある住民の方が「災害公営住宅には多くの世帯が入居することになる。その地域の既存の自治会はあるが対応は難しいだろうし、メンバーも高齢化している。誰が自治会を担っていくのか。」とおっしゃっていました。
今まで自治会の枠組みだけで成り立っていたからこそ、そこを打ち破って、いろいろなコミュニティの存在を認めていけるようになればよいと思います。しかし、いま住民が持っている「誰かがやってくれるなら参加するけれど......」という意識をどうやって変えていけるのか。新しいコミュニティをつくっていく仕掛けができたら理想的ですが、難しさも感じています。

中川:災害公営住宅に移ることをひとつのきっかけとして、自治会とは異なる集まりが生まれてくるとよいのかもしれません。イメージとしては一人の人が複数のコミュニティに所属している状態、多層的なコミュニティが考えられます。これをつくるためには、自ら参加し場合によってはまとめ役を担うなど、参加の意識が徐々に高まる必要があります。コミュニティではよく「居場所」と「出番」という言い方をしますが、現在リーダーをつとめてくださっている方々に続く人をどのくらい生み出せるかがポイントだと思います。
福島のある団体は、結婚などで移住された外国人女性の支援をしています。その方々は、日本語は話せるけれど、読み書きができない場合があります。普通に会話ができるので、周りは気付かない場合がありますが、ご本人たちは非常に日常生活で困る場合もあるのです。
お話を聞いていて感じるのは、同じ出身国の方同士でつくっているコミュニティのつながりは強いことです。メンバーの1人が言い出したことを信頼して、実行したりします。この場合は同じ出身国であることがコミュニティをつないでいますけれども、今、置かれている立場や地域とは別に、その人の持っている何かでコミュニティができ、選択肢が広がる可能性がありますね。

大木:平時から複層的な人が属しているネットワークがあるといいと思います。地縁によるエリアコミュニティも大切ですが、中川さんがお話くださった例のように外国人の方は出身国のコミュニティとつながっていれば、有益な情報が入ってきたり、助け合いができるかもしれないですよね。
人の暮らしは、その土地の風習や習慣、生業などに支えられて成り立っています。震災は、暮らしを地域ごと壊してしまい、人々はそこから離れてしまうんです。1つのコミュニティだけで暮らしが維持されていると、震災時は一気に崩れてしまいますから。

中川:そういった多層的なコミュニティをつくるには、地縁をつくる土壌を残す必要があるのかもしれません。地縁によるコミュニティづくりがなかなか進まないのであれば、別のコミュニティをつくって人々の関係性を育む。これらを提案していって、10〜20年後に何かと結びついていけばいいですね。

西山:東京など、都会に住む人たちは地縁がなくて、そういった別のコミュニティに属していることが多いですよね。

本田:それは、知縁によるコミュニティですね。

西山:私の住んでいる地域では、地縁・知縁、それぞれに私自身が関係していません。もし実際に災害が起こったときに、やっていけないのではということに気付きました。だからこそ、地域に貢献しなければいけないと思うようになりました。
2年くらい前から、シェアは台東区のNPOと行政の協働指針の作成にかかわらせてもらい、台東区との関係が少しずつできてきました。そのなかで、災害に対する話しもでてきています。今後、社会福祉協議会などとの連携に向けて話し合いをしようと考えています。
シェアは台東区に事務所があるのに、今まで地域を全然見ていなかったと感じています。地域で活動することの大切さを気仙沼から教えてもらい、まだ間に合いますから、台東区の防災への取り組みにかかわっていきたいと思います。平時から、このような関係性を意識してつくっていかなければならないと、あらためて感じました。

コミュニティへの参加を促すには
ーコミュニティにいる一人ひとりが「自分もコミュニティの担い手である」と意識することが大切だと思います。先ほども、被災地で新しいコミュニティの枠組みがなかなか根づかないというお話がありました。意識を変えていくには、どうしたらよいのでしょうか。

西山:NPO側が「一人ひとり意識を持ちましょう」と呼びかけても、変わらないと思います。行政をはじめ、日常生活の中でかかわりを持つコミュニティや組織はいろいろありますから、日ごろから顔の見える関係をつくって、参加のきっかけをつくっていかなければいけないのかなと思います。

大木:地域には、シェアのようなNPOもありますし、商店・病院・保育園など、生活に必要な場所で働く人がそれぞれに活動しています。普通の生活の中でも、さまざまな原因で人は孤立していきますから、いろいろな要素の人がつながっていくと、孤立する人が減っていきます。
2010年の大阪2児置き去り死事件は、住まいを転々としてワンルームマンションに暮らしていた親子の事件でした。報道でそれを知ったとき、住民票がなければ行政の仕組みだけでは見つけられませんから、「このような人たちには(行政の保健師は)とてもたどり着けないだろう」と思いました。きっと同じことが繰り返されると思い、絶望感がありました。
「どうしたらいいのだろう」と、その事件のことを調べたら、近隣の人が泣き声に気付いているのです。そのような人たちと支援のネットワークがつながっていれば、母親に誰かがもっと早くにタッチできたかもしれないと思います。
地域で暮らしながらも、存在が見いだされないでいる人たちがいたとしても、周囲の人が多層的なコミュニティのつながりをもっていれば、誰かがどこかで声なきSOSに気がついて、それが地域の見守りや支援のネットワークの中にあがってくるかもしれません。このようなコミュニティの包摂の力は、震災のときだけでなく、平時であっても強いものだと思います。

中川:平時から、何かをやっていることが災害時に出ることは、皆さん感じられていると思います。まず、自分たちが所属する組織からやっていく、身近なところからやっていくことを実践していくのが、平時からやるべきことの1つだと、今日参加して皆さんのお話を聞いて実感しました。私自身も、それを意識していて、いつも参加することが大切と言っています。

本田:地縁とは別に、新しい価値観が必要なんだと思います。では、それがなんなのか。新しいコミュニティの粘着力、人々をくっつける力は何であるのかを、コミュニティづくりの中で常に課題として考えておかなければならないと思いますね。

2014年8月15日収録
構成:高柳ユミ


honda.jpg本田徹
シェア代表、医師
東北、神戸、新潟の震災において医療支援を行う。山谷でNPO 山友会の高齢者医療に参加。
oki.jpg大木幸子
杏林大学教授、保健師
阪神淡路大震災、三宅島噴火災害等においても保健活動を行った。シェアの震災支援事業保健アドバイザー。
nakagawa.jpg 中川馨
日本NPOセンター 職員
被災地のコミュニティ再生を目的とする助成プログラム(プロジェクトKを含む)を担当している。
nishiyama.jpg西山美希
シェア事務局次長
タイ事業担当を経て、気仙沼震災支援事業担当として、東日本大震災復興支援に携わる。


  1. 気仙沼市の傘下で医療ボランティアをコーディネートして市内の被災住民を巡回した保健医療チーム。シェアだけではなく、さまざまな団体の保健医療ボランティアや自治体の保健師が合同で巡回訪問に取り組んだ。
  2. 要介護4:日常生活を送る能力が低下し、入浴や着替えの全介助、食事の一部介が必要。要介護5:全面的な介助が必要で、意思の伝達がほとんどできない場合が多い。
  3. 高齢社会により介護を必要とする高齢者の増加に対応するため、2000年から施行された。介護を要する状態に応じて、介護サービスを提供する制度。これにより、病院や施設ではなく自宅で介護を受ける人が増えた。東日本大震災では、在宅被災者は介護サービスを受けられなくなり、避難所に避難した人々も不自由な生活をせざるを得ず、彼らへの介護ニーズが高まった。
  4. 介護の必要な高齢者や障害者など、通常の避難所では生活に支障を来す人に対してケアが行われるほか、要援護者に配慮したポータブルトイレ、手すりなどバリアフリー化が図られた避難所。
  5. NPO法人生活支援プロジェクトK 気仙沼市階上(はしかみ)地区で被災した人々を中心に生活支援を行うことを目的に設立された。事務所での健康チェック・健康相談等の活動、健康講話・健康体操・編み物講座・菜園での活動などを開催し、地域の人々の交流をサポートしている。活動当初からシェアと共同事業を行っていたが、2014年4月にシェアの事業が終了し、単独での事業運営を開始している。
  6. 自力での住宅再建が難しい方のための公的な賃貸住宅。仮設と異なり家賃が発生するが、低く抑えられている。
  7. 社会的包摂(インクルージョン):社会から孤立したり、排除されないよう、一人ひとりを社会の構成員として包み、支えあうこと。


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