シェアの発足から1年は、国際協力への思いを胸に抱いて月1回、東京都阿佐ヶ谷に集まり、海外活動の経験者などの話を聞きながら、そのあとの居酒屋で国際保健医療協力の夢を語った。
その夢が現実になったのは1984年12月。アフリカのエチオピアで干ばつのため、200万人以上が飢餓で死んでいるというニュースが大々的にテレビの画面に出た。シェアはJVC(日本国際ボランティアセンター)と協力して、飢餓被災民への緊急援助をエチオピオ国の北部ウォロ州アジバール村で開始することとなった。
シェアにとって初めての経験であり、派遣医療従事者の多くが赤痢などの病気になりながらも、年間に約5万人の外来患者、5千人の入院患者を診察した。残念ながら年間525人の犠牲者が出て、一番多い5月には118人が死亡した。
これまでは臨床の外科医として、「人が死んではいけない」との考えで働いてきた私には、エチオピアでの経験は鮮烈だった。
人は、飢えで簡単に死んでいくのである。医療者としては何もできない。点滴をしようが、何をしようが死んでしまう。生き残る人は、「自分で食べることができて、水を飲める」人だけであった。
私ができることは、傍らに座り、死んでいくのを見守るだけだった。緑が全くないキャンプからきれいな星空を見ながら、医者としての無力さ、個人としてできることの限界を感じた。医療の前に水、食べ物だ。当たり前のことに愕然とした。
そんな中でも、治療した患者は「ありがとう」と言って村に帰っていく。だが1か月もすると、また、ガリガリになり、病気になって帰ってくるのである。
私たちのしていることは何なのか。死にそうな人を助けても、それは化膿した傷を絆創膏でふさぐだけのものである。化膿する根本原因が解決しないと同じことは繰り返される。根本的な問題である貧困と干ばつを解決しない限り、同じことが繰り返される。
シェアは、最初の国際協力への経験により、「緊急医療援助から開発援助へ」という舵を切り、治療より予防のための保健教育、保健医療に関わる人材の育成といった活動を中心に、プライマリ・ヘルス・ケアのアプローチに基づいた保健医療支援を行っていくことになるのである。

写真:シェアの現在の活動の原点ともなったエチオピアでの診療活動(1985年5月、エチオピア北部ウォロ州・アジバール病院)

仲佐保(国立国際医療センター医師、シェア理事)
沖縄平和賞連載
沖縄タイムス 2011年2月27日(日) 掲載
この記事はシェアが2010年に第5回沖縄平和賞を受賞したことをきっかけに、1年にわたり沖縄タイムスに掲載いただいたコラムです。