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地域リハビリテーション(日本・海外)

地域リハビリテーション(日本・海外)

地域リハビリテーションとは?

なぜ地域なのか?

地域リハビリテーション(CBR:Community Based Rehabilitation)とは、高齢者および障害者に対して機能的な改善を図るとともに、地域(自宅)で安心してその人らしい暮らしができるように援助し、地域住民がともに暮らす体制作りをすることである。なぜ地域かと問われれば、医療機関では医療者―患者が「治すー治される」関係で患者は受身の立場にとどまり、退院後の地域で「主体性」の再獲得をおこなう必要があるからである。
ただし、年単位のかかわりになる。なぜなら、脳卒中などの中途障害者の心理は、
(1)病前の状態を基準にして現在の状態を比較するため、いつまで経っても「よくなっていない」と思う、
(2)「自分は重い障害で大変苦労している」と思う、
(3)「こんな体になって情けない、惨め、死にたい」などの気持ちから、近所の人々に会いたくなく「閉じこもる」傾向になる、
(4)家庭では、家族は「健常者」、自分だけが「障害者」と思い孤独感を味わうなどがあり、全体として、生活するのに「きわめて自信がない」状態が続くからである。

世界保健機構(WHO)による生活機能と「障害」の国際分類

2001年、WHOは1980年の障害者分類(機能障害―能力障害―社会的不利)を変更した。
委員会の構成は障害者、研究者、臨床実務者がそれぞれ1/3の比率とし、世界の各地域・各種文化に通用する文化の違いを超えた性格にするべきで、障害というマイナスのみを対象とした点を変更して、プラスあるいは中立的な用語を用いることとした。そこで、生活機能と障害のモデルとして、心身機能・構造、活動、参加とし、それらが障害された状態をそれぞれ機能障害、活動制限、参加制約とした。そして、背景因子として環境因子、個人因子を加えた。

日本での制度

日本では、さまざまな地域での活動が緩やかな連携を求めて、1978年から「全国地域リハビリテーション研究会」が地域で活動している医療、保健、福祉の人々により開催され、全国で展開されている。そして、国の制度としては1999年に「都道府県リハビリテーション協議会」と二次医療圏に「地域リハビリテーション広域支援センター」を設置し、地域のリハビリテーション実施機関の支援、地域のリハビリテーション施設の従事者への援助・研修、地域レベルの関係団体、脳卒中友の会、リハビリクラブなどからなる連絡協議会の設置・運営などの機能を果たすようになっているが、都道府県で充実度に相違がある。

在宅リハビリテーションセンター桜新町の活動

先述の心理状態に対して、訪問(医師、理学・作業療法士)、通所リハビリ(施設内の活動にとどまらず、地域に出かける拠点として)、居宅介護支援事業とインフォーマル活動(旅行、ゴルフクラブ、歌舞伎クラブなど)を通じて、われわれが主導的に診療、療法、看護、介護などを実践し、自己管理、生活リズムを本人・家族とともに再構築する。
そして、「できない」と思っていることを「できた」体験あるいは「役割」を果たす体験などを通じて主体性を再獲得し、これらが相乗効果を発揮して、数年経過してからもQOL改善(機能改善)が図られることが少なくない。
こうして、障害を持っても新たな生活を構築することができるが、心理的にある程度落ち着くのに少なくとも3-5年はかかるので、根気強い活動をしている。

21世紀の日本におけるCBRの発展のために

これからが高齢社会の本番を迎えることになり、誰でも高齢者になるという必然性をどのように周知・普及していくかが問われる。そして、国が定める制度は枠組みでしかなく、中身は一人ひとりがどれだけ行動していくかにかかっているが、高齢になっても障害を持っても地域で暮らせる実践を重ねることにより、「健常者」が障害をもっても高齢になっても、自分らしい暮らしが可能であると考えられる社会を目指すことになる。

文献:生活機能と障害の国際分類 WHO国際障害分類日本協力センター 2000年
文責:在宅リハビリテーションセンター桜新町・センター長 医師 長谷川幹
機関誌「Bon Partage」No.135(2007年5月)掲載

地域のリハビリテーション、海外では

人権が議論されるようになって来たCBR

WHO(世界保健機構)のCBR(Community Based Rehabilitation:地域に根ざしたリハビリテーション)マニュアル作成時からCBRをPHC(プライマリ・ヘルス・ケア)と連携させることが奨励され、それがために医療モデルに基づくCBRが主流と成った時代が20年以上にわたって続いている。医療のみでない多分野(multisectoral)的アプローチであるといくら強調されても、その影響は尾を引いている。

CBR合同政策指針書

1980年代のCBRの開始以来、世界各地でWHOの「地域社会でのリハビリを中心とする障害者の訓練」というCBR概念を自己流に解釈した種々のCBRプログラムが実践されるに至った。それ故、WHO、ILO(国際労働機関)、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は1994年にCBRに関する合同政策方針(Joint Position Paper)を発表した。 さらに10年後には改訂版が同じ3機関によって出された。これが最新のCBR像であるといえよう。そこでの目新しい点は、人権、貧困などの不平等の是正、そのエイジェントとしての障害当事者団体の役割の拡大である。その背景には、ミレニアム開発目標(*1)がある。CBRは貧困の削減に対して効果的な対応ができると繰り返し強調されている。2002年から国連で討議が始まった障害者の権利条約を意識して作成されて、人権に1節があてられている。かつ、「人権アプローチに基づいてCBRプログラムが必要であるとの認識」がCBRの4つの必須要素のひとつとされるなどさまざまな箇所に登場する。障害者当事者団体(DPO)の役割は以前よりずっと拡大され、DPOは積極的にCBR実施の際に役割を担う存在となっている。CBR推進に当たって地域社会と肩を並べてDPOの参加が必要とされる。

コミュニティ開発から人権へ

CBRが単なる村落開発の手法であるときには、障害者は社会の一員であったが平等な一員であるための配慮は十分とはいえなかった。障害者にサービスを提供するCBRワーカーとして障害者を選ぶことはCBR実施者の発想にはなかった。適切な発言が期待できる障害者がいないことを理由に、CBR委員会の中に障害者が入ることもなかった。障害者は結局サービスの受け手という地位に甘んじるよりほかなかった。 世界的障害者当事者団体であるDPI(障害者インターナショナル)が2004年のCBR国際コンサルテーションへの意見書で述べていたように、CBR のアプローチは、医療的障害像にこだわることなく、人権に基づいた障害の社会モデルに達することを目標としてきたはずであった。しかしその前提条件となる、地域社会全体における障害者の人権の尊重や、障害者の地域社会での完全参加の積極的な推進は行われてこなかった。何もできなかった障害者が歩けるようになり、地域の学校に通えるようになり、床屋の店が出せればそれでよかった。

シリアのCBRプログラム

WHOのウェブで唯一紹介されているCBRプロジェクトが、シリアのCBRである。これはJICA(国際協力機構)においても自らが実施するCBRの中での誇るべき成功例となっている。 成功の鍵は、障害者のCBRワーカーとしての参加と、その場で考えうる限りのさまざまな活動を駆使して障害者のエンパワメントに務めたことにある。私も実際に訪問してみて、まるでクラブ活動に参加しているかのように、障害の有無とは関係なく村の人々が平等にCBR活動を楽しんでいるのに感激した。 脳性まひの女性は、会合やイベントの初めに自作の詩を朗読することでCBRワーカーとしての務めを果たしていた。誰が障害者かわからにほど、床に座って夢中になってシッティング・バレーをしている男性たちは、シッティング・バレー(座った状態でするバレー)を広めていくことがCBRワーカーの仕事であると確信しているようであった。 障害者のリハビリから始める従来のCBRでは、CBRワーカーが毎日記録を取ることでCBRワーカーと障害者の間に期せずして上下関係を生んでいた。また、少なくも読み書きができることがCBRワーカーの条件であったので、教育を受ける機会のない大半の障害者にはCBRワーカーになることは無理とされた。その意味でシリアのようなCBRプロジェクトが可能であることが証明された意義は大きい。

21世紀の日本におけるCBRの発展のために

国連ミレニアムサミットにより採択された、貧困改善を目的とした8つの目標。
文責:ADI(アジア・ディスアビリティ・インスティテート)代表 中西由起子
機関誌「Bon Partage」No.136(2007年7年)掲載

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東ティモール・カンボジア・日本の3カ国で展開しています。