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緊急援助(日本・国際)

緊急援助(日本・国際)

日本の緊急援助

はじめに

海外での緊急救援のテーマは、地震・津波・洪水・テロ・戦争など複数挙げられますが、日本国内でテーマはやはり大地震です。阪神淡路で一躍有名になった活断層は北海道から近畿地方に広く分布し、いつなんどき直下型地震を引き起こすか判らない状態と言われています。 地震などの災害医療総論については、災害医療で弘中陽子さんが解り安くまとめて下さいました。今回は、私達が住む場所で同様の震災が起きたらと、身近に引き寄せて考えてみます。例としてシェアオフィスのある台東区で考えてみましょう。
東京都が発表している地震に弱い町のリストがあります。東京都のすべての町5千余りを評価し、家屋の倒壊し易さ火災の発生し易さなどの観点で評価したものです。東東京の街ばかり並んでいます。山の手地域と違い東東京は地盤が軟らかく、地震被害が大きいとされています。家屋倒壊危険度の4番と総合の10番にはなんとシェアオフィスから程近い台東区浅草や竜泉がランクされています。もしも台東区に直下型地震が襲ったとしたら、かなりの規模の建物の倒壊が見られるでしょう。

保健ニーズの変遷

震災後の健康・保健のニーズの時間的変遷を見ると、以下のように3つに分けて考えることができます。

<保健医療ニーズの変遷>

時期 場所 主たる健康問題 必要とされる支援
急性期 直後3日間程度 自宅など 外傷 医療
緊急搬送
亜急性期 1ヶ月程度 避難所など エコノミークラス症候群
慢性疾患の悪化
肺炎などの感染症
ストレスから来る問題
看護
保健指導
心のケア
慢性期 それ以後 仮設住宅 PTSD
孤独死
介護
訪問

急性期
震災直後の2,3日は、とにかく救命救急の時期です。救急医療と搬送が何より大切です。台東区の住宅街には古い建築のアパートが多いようです。阪神ではそういった建物の倒壊がひどく、多数の犠牲者がみられました。また近接した建物も多く、阪神長田町のような大規模火災が起きるかもしれません。シェアのあるビルも築年数が古く、かなりのダメージを受ける可能性があります。震災直後数時間は救助隊は到着しないので、その場にいる人達で助け合って瓦礫に埋もれた人達の救出活動を進めることになります。おそらくシェア近くの永寿総合病院には、近隣で怪我をした方々が大挙して押し寄せ大変な修羅場になるでしょう。
救命救急が一段落したところで、東京に仕事等で来ている人は徒歩で自宅に帰宅することになります。人によってはその距離は数十Kmになると言われています。電話は携帯を含め不通になりますから、家族の安否は帰宅するまで判らない事も多いでしょう。

亜急性期
救急処置が終わる2,3日目以後から1ヶ月間ほどを亜急性期といいます。シェア近くの白鴎高校などが避難所になりますが、家屋倒壊が多いため避難者の数もかなりの数となるでしょう。この時期は通常下水道・ガスは復旧しておらず、仮設トイレと仮設風呂を利用する不便な生活を避難者は強いられます。不便な避難所生活により、もともと患っていた慢性疾患の治療がおろそかになり悪化する人が多いでしょう。また、プライバシィの全くない体育館などでの長期のざこ寝生活、たびたび襲いくる余震、深い恐怖感と共に脳裏に刻み込まれた本震の記憶などによるストレスが新たな問題点となります。中越でも多くの子供も大人も不安感から来る不眠などに悩まされていました。
しかしこの時期に避難所での医療はそれ程必要ありません。近所の医療機関も大体再開します。避難所で必要となるのは看護です。そして関東近隣などから駆けつけてくれるボランティアや行政派遣の看護師さんに支えられ、避難所での看護は充実して行くでしょう。

慢性期
震災から1ヶ月を過ぎる頃から行政が仮設住宅の建設を始めます。半壊から全壊の住宅の方の多くは仮設住宅へ入居してゆくでしょう。そしてその後課題となるのは、仮設での介護の問題となります。長年暮らした地域から引き離された高齢の避難者のケアがポイントとなってゆきます。

被災地においては、このように求められることが「医療→看護→介護」と変わってゆきます。避難所などで働くボランティアは、こういった事を把握して行くことが、実は重要だと考えます。

文責:江東病院外科医師 仁科晴弘
機関誌「Bon Partage」No.133(2007年1月)掲載

国際緊急援助

世界の緊急事態での国境なき医師団(MSF)の経験と、緊急人道援助の基本的な考え方を概述します。

大規模自然災害:津波、地震

インド洋津波の1週間後には、インドネシア、スリランカなど10カ国以上で200名以上のMSFボランティアが活動し、救援資材を満載したチャーター機が現地に多数到着していました。しかし、緊急ニーズは予想より小さく、多くは国内からの援助によってすでにカバーされていました。さらに、世界中から援助団体が殺到して援助競争の様相を呈し、宿舎、自動車など物価は上昇し、被災地への道路は渋滞しました。MSFは、大部分の地域から早期に撤退する一方、MSFへの津波に対する寄付中止を呼びかけました。緊急ニーズに対応するための資金はすでに集まっており、必要以上の津波寄付金を受け付けるのは不適切と判断したからです。
パキスタン・カシミア地震では、過去の経験から、地震による直接の負傷者よりも、家を失った避難民のための住居と、水、食料、生活・防寒用具、内科医療などの援助を中心に考えていました。しかし実際は、倒壊家屋によって負傷し、一週間以上たってから受診する患者さんが後を絶ちませんでした。避難民への援助の他、空気で膨張させて作るテント病院での手術や、病院の周囲に"医療村"を設置して食・住の提供と処置・診療を行うなど、新しい援助手段を実用化して対応しました。多くの家屋が簡素な木造だったため致命傷は比較的少なく、また、被災者が山中のアクセス困難な地域に広く分散していたため受診まで時間を要したと考えています。
自然災害に対する国際援助は、時間的制約や、道路などインフラによる制約、文化的制約もあり、国内からの援助への補完的な役割である場合も多いと感じています。

紛争、避難民、食糧危機、疾病...

2003年に始まったスーダン・ダルフールの人道危機は、近年ではもっとも重大な緊急事態で、短期間のうちに200万人の難民・避難民が発生しました。
当初、世界の関心は低く、2004年夏の時点でも広大なダルフールに外国人援助スタッフはわずか二百数十名、その三分の一はMSFという状態でした。その後事態は多少改善しましたが、2006年、国際社会が残存反政府勢力の停戦協定参加と、国連軍ダルフール派遣を実現すべく、反政府勢力とスーダン政府の双方に圧力をかけると、両者はこれに反発して戦闘を激化させました。
援助スタッフも標的にされていたるところで援助がストップし、さらに、すでに約束されていた支援金が棚上げされて資金難から活動を中断する団体もあるなど、生活をほぼ100%援助に依存している避難民の状況は、再び極限まで悪化しています。
2005年ニジェールでおきた大規模な食糧危機は、初期にはWFP(世界食糧計画)や現地政府が危機の存在を否定し、メディアの関心も低く、対応したのはMSFなどごく少数でした。
私たちは、緊急食糧援助を行うと同時に、世界に対し事態の深刻さを訴えました。この年、MSFはニジェールで6万人以上の低栄養児を治療しましたが、そのために、栄養失調の重症度分類を見直し、新しい治療プロトコールを大規模に導入しました。

必要とする人たちのための緊急援助

大きな自然災害は世界の注目を集め、そこには援助が殺到します。しかし、国際緊急援助の役割は限られており、しかも多くの場合、中・長期援助に早晩移行できます。これに比べ、ダルフールやニジェールのように、国際社会の無関心のなか、静かに進行し継続する緊急事態をいち早く認識し、これに対応することはとても重要です。2001年に、MSFが途上国でのARV治療(*1)を開始したのも、途上国のHIV/AIDSを顧みられないChronic Emergency(慢性の緊急事態)と認識したからです。
本稿を執筆している2006年10月にも、世界の多くの国々でコレラの集団発生や食糧危機、内戦などの緊急事態に対応しています。
人道援助の目的は、ニーズにあったサポートをして人々の苦しみを軽減することです。緊急ニーズは、報道の有無には関係なく世界に常に多く存在しますが、現地の状況は毎回異なっています。これらに有効に対応するためには、過去の経験の上に安住せず、常時ニーズを評価して適切な援助を行うこと、自分たちの活動を反省して常に改善する柔軟性を持つことが大切です。

(*1)Antiretroviral:抗HIV薬 エイズ治療薬のこと

文責:国境なき医師団日本会長 臼井律郎
機関誌「Bon Partage」No.132(2006年11月)掲載

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シェアは、いのちを守る人を育てる活動として、保健医療支援活動を現在
東ティモール・カンボジア・日本の3カ国で展開しています。